アルバイト勤続10年が社員になろうと思った理由

僕は今の会社で働き始めてあと半年ほどで11年が経とうとしています。

僕の経歴をちょこっとお話すると

高知県の田舎に生まれ、幼少より同性愛者だと自覚しながら生きるも話せる相手もおらず

都会に憧れを持つようになり

大阪のファッション専門学校に通わせてもらう。

専門学校では珍しい4年制に通うも、折り返しの3年生の時から徐々に堕落してゆき

学校のクラスメイトにも馴染めず、第二の目的だった都会でゲイとして生きることも自分を出しきれず隠していたせいで全く思うようにいかず。

4年生の時に何もかもうまくいかなくなり、就活失敗→実家に戻る

ファッションが嫌になり飲食でアルバイトするも、うまくいかず1ヶ月で退職

人間不信になり約一年ニートとして過ごしたまに知り合いの農家のお手伝いをさせてもらう

社会復帰も兼ねてアルバイトの面接を受けるがことごとく不採用

やはりファッションに対する思いが捨てきれず最後ファッション系で受けようと思ったのが今の会社

そこから社員希望として4年働くも、社員として不採用

やめようかなと思っていた矢先、別店舗のリニューアルに伴い異動を打診される

思いがけず働くのが楽しくなり一年継続

そしてKOUと出会う

だが約半年後KOUの異動が決まる

仕事は楽しかったが将来が見えず、KOUと一緒に居たかったので岡山の転勤についていく

本格的に二人で暮らし始める

岡山の店舗に異動させてもらう

約2年働くそしてKOUの大阪への転勤が決まる

大阪の店舗に異動させてもらう約2年経過←今ここ

ちょこっとどころじゃなくなりましたね笑

この間約10年です

ではなぜ10年もアルバイトで働いててこの度社員として働こう、働きたいと思ったかというと

様々なタイミングが重なったからです。

きっかけは2021年5月、地元の祖母が亡くなったことから始まりました。

知らせは突然ではなく、母づたいで数週間前におばあちゃんが体調が悪くもしかすると亡くなるかも知れないと知らされていました。

その時期は緊急事態宣言中で外出自粛が呼びかけられていた真っ只中だったと思います。

感染者数の多い大阪から高知に行くということもあり、陰性だと証明しないと親族や家族も不安だろうなあと思い、仕事中の朝母から祖母が亡くなったという知らせを受けてPCR検査を受けに行きました。直近で受けないと意味がないと思ったからです。

ですが、結果が出るのは次の日の夜11時ごろ

お通夜には間に合いませんが次の日のお葬式には行かなければと思い、11時まで待ったところ結果は陰性。

出れるよう準備はしていましたが、夜中の運転で事故してしまったら本末転倒だと思い、朝4時に家を出れるようにしようと思い就寝しました。

ですが起きれず、結局朝6時に家を出、高知に着いたのは昼の11時過ぎでした

出棺ギリギリで何とかお葬式には間に合いあい無事に祖母を見送ることができました。

ですが約4年ぶりにあった家族の状況はかなりの変化がありました。

詳しいことは書かないのですが、それによりなのか僕はあんなに明るかった母がすごくやつれて見えたのです。

まあお葬式の直近だったせいもあるかもしれませんが、家族の心配ごとを一つでも減らしたい

そう強く思いました。

話が少し変わりますが、同性カップルというのは今の法律では結婚という制度がありません。

代わりに同性パートナーシップ制度というものがありますが、結婚のような効力はありません。

ですからあくまで僕たちは法律上、『他人』という扱いにされてしまいます。

それにより起こる不都合は意外にも様々あります。

日常生活を送る上では何も不都合なことはありませんが、良くも悪くも人生における転機が訪れた時に結婚してるか、していないかで大きく変わってきます。

ですから、二人がこの先も一緒に過ごしていくのであれば、男女問わず結婚という制度は利用した方が良いということです。

僕たちは30代前半と後半の年齢になります。

先を考えると不安は尽きません。

それはもしかしたら両親も同じかもしれない。

10年前にかけたたくさんの迷惑や心配、そして今もそれをもうなるべくかけさせたくない。

自分は今幸せに暮らしているよと胸を張って言えるようになりたい。

約5時間の帰り道でそんなことを思っていました。

それが僕が社員になりたいと思ったきっかけです。

何が幸せなんて人それぞれで、僕はKOUと出会ってから二人で一緒にいられる時間を大切にしたいと思ったし、今でもそれは変わりません。

ですが、今自分には離れているけど共に時間を過ごしてきた家族がいます。育ててくれた親に迷惑ばかりかけて、何もしてあげられてない。この先こどもを見せることだって出来ない。

じゃあせめて、自分は今幸せだよと頑張って生きていますよと思わせてあげられるようにするのが今の自分にできる親孝行なのではないかと考えたのです。

その方法の一つが、今いる会社で正社員として働くことでした。

とは言いつつも、僕ら同性カップルには様々な障害があります。

それについて今回は詳しく明記しませんが、僕はKOUと間も無く5年になる付き合いになります。

たかが5年、されど5年で本当に色んな変化がありました。僕にとってそれは主に良い変化です。

そして、少しづつではありますがそんな壁を少しづつ壊していきたい。そして二人で幸せになりたい。

僕は今そう考えています。

ryo




ABOUT US
ryokou
僕たちは男性二人暮しの同性カップルです。 kouは京都府出身の37歳。人付き合いが苦手で内向的な性格。 平成16年3月京都産業大学を卒業。平成17年1月に就職(勤務地は京都で全国転勤ありの会社)。平成26年7月に高知へ転勤、平成29年10月に岡山へ転勤、令和元年10月に大阪へ転勤となり現在に至る。 平成30年5月に難病指定されているベーチェット病を発症。特定疾患受給者証の交付も受け、現在も治療中。 ryoは高知県出身の32歳。2017年にkouと出会い人生が変わる。ミニマリストな思考のkouに影響を受け、シンプルライフを志す。 二人に共通すること 半年ぐらい前からミニマリスト、シンプリストの動画を見るようになる。退職しストレスフリーな生活に憧れを抱くようになり、あまり多くの物を持たずシンプルな生き方を模索しています。