こんにちはryoです。
前回の続きになります。
ファッション系の専門学校に通っていた頃、デザイン画の課題で良い成績が取れ出したころ、僕がしくじったお話。
そして僕はこの創作デザイン(あるテーマに沿って自分で一からデザインする)という課題が好きになり、しばらくの間この創作デザイン画でいい成績をとっていました。成績のつけかたは5段階評価+3段階評価。
5A〜1Cまで といった感じです。
その評価で僕は5A、5Bなどをとっていたのですが、、、
三年生に入ったころ、その評価はガラガラと崩れていくことになりました。
その経緯を説明すると、創作してデザイン画を描くのは結構な労力がいるということです。
例えば今回のテーマ、商品のパッケージから洋服をデザインしてみましょう! とか
なると、まずテーマとなる商品を自分で決める
そのパッケージ(仮にポカリスウェットにしましょう)から着想を得て、どうファッションに落とし込むか考える。
ただロゴを入れるだけではカッコイイとは思われないので、どう入れるか考える。
僕の場合はそういう奇抜な衣装を考える時は、漫画のキャラクターに置き換えて考えていました。
例えばポカリスウェットであれば、ビアガールの様にポカリの入ったタンクを背負わせて、ポカリガールの衣装をデザインするとしたら、、、と考えました。
生地は濡れても平気な様にビニールの様な異素材にするとか、カップをすぐ取り出せるように腰や脚にベルトで固定できるようにホルダーをつけるとか。
キャラクターを考えて、じゃあどういう衣装を着せよう というところから発想を得ていました。
課題としては、ファッションが伝わればいいのですが
前回のブログでも書きましたが、僕は絵の上手なある一人の女子学生に憧れていたので
その創作するモデルの髪型、肌の色、描く線、色の塗りかた、洋服のシワ、持たせる小物、ポーズ、表情など、、、全てにこだわって描いた結果、描いた後の疲労感は半端なかったです。
自分の中で「課題」というより「自分の作品」としての意識が強くなりました。
徹夜することもしばしばあったし、ただ描いた後の達成感は半端なく、当時の僕はそれを描くことに満足感を得て学校に通っていました。
ですが 課される課題はそれだけではなかったのです。
ファッションデザイナーを育成する学科だったので創作デザイン以外にも、あるデザイン画を模写する課題、適切なプロポーションなどを描けるようになるためのデザイン画、ファッションの市場調査、パターン制作(洋服の型紙です。僕はこれが苦手でした)の課題。ディティール(洋服の細部のこと)を作る課題。例えばポケットだけ作るとか。
最終的にはジャケットを作るようになったり、スカートを作ったり、、、ただ僕は裁縫が苦手だったので、これがつらかったです。他にもあったと思いますが、印象に残っている課題は上記のものがありました。
そんな課題をこなしつつファッションデザイナーを育成する学科だったので、ファッションコンテストに応募する。
これが、転落人生の最大の原因でした。
三年生になるとこのコンテストに応募するようになるのですが、本当にいろんなコンテストにこれも「課題」として描くように先生に言われます。
普段の課題とはまた別にです。
僕はこのコンテストには三年生のうちは全く受からなかったのですが、年々忙しくなる課題に加え学年ごとに一度チーム分けされ、そのチームで一つのテーマの作品(といっても一人一作品)を制作するという大きな課題などもあり、、、
正直いつもマイペースと言われ、何事も遅かった自分にとってそのスケジュールはハード過ぎたのです。
全くついていけなくなりました。
そして自分のこだわりやでプライドが高い性格が仇になり、どれも程々にということができなくて、結果間に合わず提出が遅れるということもしばしば出てきはじめます。
いくつもの出来事をこなせる器用さはなかった自分はあっという間に成績を落としていくことになりました。
そして自暴自棄になり、大阪の地で引きこもるようになるという最悪の事態になってしまったのです。
学校に連絡も入れず、ずっと部屋にいました。
その内学校から親に連絡が行き、ある日両親が大阪の部屋に訪ねてくるという本当に情けない事がありました。
その時話した内容はあまり覚えていないけど、両親はとても心配していたと思います。
友達は少しいたけど、別の学科になってしまったので、心から相談できる人もおらず。
けど学校を辞めて次どうするかも全く何もなかったので、僕はまた学校へ通うことになりました。
久々の教室は、あまり覚えてないけど。とても気まずかったとは思います。
同じチームだった人達にも本当に申し訳なかったです。
それが三年生の時の出来事。
そして春になり、紆余曲折あり僕は最終学年である四年生に進級することができました。
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