こんにちはryoです。
前回のお話の続き、マキシマリストで安いもの好きだった僕が無印良品を好きになった理由。
そう、無印良品の思想に気づいたと書いたのですが。
それを決定づけたのが、「無印良品のデザイン」という本でした。
ある日立ち寄った無印良品に置いてあった一冊の本。
そこに2003年の無印良品の企業広告が載っていました。
「無印良品の未来」というタイトル
そこに載っていたのは真っ白な地平線に佇む一人のヒト、そしてその文章に強く惹かれたのを覚えています。
“無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。
しかしながら「で」にもレベルがあります。無印良品はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目指します。「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。それが無印良品のヴィジョンです”
引用:良品計画公式サイトより
この「で」の説明の仕方になるほど…と、思い
今までの自分の中にあったもやもやしたような感覚をはっきりとしたものに変えてくれた言葉でした。
この無印良品が言う「で」というのは、諦めや不満を含めたものではなく、一種の安堵感がある「で」だということだと。
「これでいいや。(ポイッ)」
ではなく
「これで、いい。(ニッコリ)」
という感じだろうか?笑
無印良品の商品には一貫したイメージというものがあります。
皆さんも無印良品のお店に行った時に感じないだろうか?
無印良品はそこで全ての生活用品が揃うと言っても過言ではない程の商品量があるにも関わらず、煩雑な印象は無いし、むしろ落ち着く空間。
ずっとそこに居たくなるあの感覚。
それは徹底された商品に対するイメージ、空間作りに統一感があるから
そこに居る人を優しく包み込んでくれるような安心感。
色彩、素材感、音楽、香り、そこにいる人々
色んなモノが組み合わさってあの独特な無印良品という空間を作っているんだなあと。
そんな物を自分は求めていたけど、長年気づかなくて
灯台下暗しといった感じで、自分が必要としていたものにやっと気付いたというそんな感覚がしました。
そして企業広告の終盤にはこう書かれていました。
”現在、私たちの生活を取り巻く商品のあり方は二極化しているようです。ひとつは新奇な素材の用法や目をひく造形で独自性を競う商品群。希少性を演出し、ブランドとしての評価を高め、高価格を歓迎するファン層をつくり出していく方向です。もうひとつは極限まで価格を下げていく方向。最も安い素材を使い、生産プロセスをぎりぎりまで簡略化し、労働力の安い国で生産することで生まれる商品群です。
無印良品はそのいずれでもありません。当初はノーデザインを目指しましたが、創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました。最適な素材と製法、そして形を模索しながら、無印良品は「素」を旨とする究極のデザインを目指します。“
引用:良品計画公式サイトより
僕は学生時代ファッションデザイナーを目指していたということもあって、ファッションについては上記の考え方が自分の中で浸透していました。
独自性のあるモノ。人と違うこと。それが「個性」だと信じて。
けど普段買う生活用品は下記のモノ。
安いほうがお得じゃないか。たくさん手に入れられるじゃないか。
モノ通して自分というモノを探して、わからなくて。そんな感覚にずっと陥ってた気がします。
モノしか自分を表現できるツールがないと思い込んでいて。
モノに頼りすぎていたのかもしれない。
着飾ることで個性を見せつけようと、自分を認めて貰おうとしていたけれど、飾りを最小限に削ぎ落とした時こそ、自分の本当の個性が滲み出るのではないだろうか。と思うようになりました。
ファッションをシンプルにしていく内に段々そういう思考に変わっていって、この数年で趣味嗜好が驚くほど変化しました。変化したというより、本来持っていたものが余計なものを削ぎ落としたことで現れたという感覚だろうか?
無印良品には不思議な魅力があります。
大きく包み込んでくれる優しさ。
凛とした佇まいの強さ。
相反する二つの要素を合わせもっているそんな印象がするのです。
どちらか片方のイメージはどんなジャンル問わず他の企業の商品にもよくあると思います。
けどこの両極端なイメージを併せ持った店は無印良品以外にあまり思いつかない。
それは企業理念の最後にも書かれている「素」を旨とする究極のデザインというところにあるのではないだろうか。
最近思うのですが人と関わる時、ありのままの自分というのは「本当の自分」だから強い。
今まで経験してきた事。考えてきた事。どう生きてきたか。
嘘をつきながら、暮らす事。
それは脆い鎧を纏いながら生活し人と関わること。
そしてそれはとても弱いということ。
無印良品に触れる内に、僕は今までの自分の生き方、人との関わり方にまで考えるようになり、自分も無印のような人間になりたいと思うようになったのです。
なんだか少し難しい話になってしましましたが、これが僕が無印良品を好きになった理由です。
無印良品は1980年、今から約40年前に生まれ、バブル期などのモノを大量に作っては消費する時代の流れがあったにも関わらず、一貫して企業の理念は変わらず「簡素(シンプル)」だということ。
けど全く変化しないわけではなく、それは少しずつ、時間をかけて、まるで川の流れの様に変化し大きくなって行き、人々の特に日本人の間に根付いていったのだと思います。
ブランドネームやアイコンをつけて高く売るわけでもなく
徹底的に価格を下げて安売りするわけでもない。
それでも僕が、人々が無印良品に惹かれるのはそれが「ちょうどいい」からだと思います。
そんな事も、kouと出会っていなければきっと気づかなかっただろうと思う。
そして今僕は紛れもなく幸せであると感じる。
今回紹介した「無印良品のデザイン」という本は本を取り扱っている一部の無印良品には置いてあると思うので、無印好きな方は一度手に取って読んで頂きたいと思います。
デザインの事、無印良品の歴史、無印良品に関わってきた人の事など書いてあります。とてもおもしろいです。
ではまた次回の記事にて
ryoでした。
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