自己紹介〜小学校時代〜

僕の性格

僕の性格は「おとなしく、真面目」。

小学校からずっと言われてきたことです。そして今も変わっていない。

小学校から他人と話したり、挨拶したり、友達を作ったり、発表したり、班長になったり、といったことが極端に苦手でした。

小学校では本当に人と話さない子で、必要最小限のことを話していた感じ。

だけど不思議といじめられたことはなかったです。

昼休みとか中間休みとかがあったんだけど、一人でいた記憶はあんまりなく、「けいどろ」とか「おにごっこ」とかして走り回っていたと思います。

小学校では「遊び係」っていうのがあって、休み時間に何して遊ぶか決める係なんだけど、全員参加だったから一人になることがなかったんだと思います。

そういえば小学校は「好きな者同士でグループ作ってね」みたいなことが少なかったですね。

遠足や修学旅行もくじ引きでグループ作ったりしてたし。

兄貴と近所の友達

小学校時代は2つ上の兄貴とべったりで、帰ってからはずっと一緒に遊んでました。

あと家の斜め向かいに、僕の同級生の男の子とその妹2人が住んでいたんだけど、その子たちと休みの日はよく遊んでました。

学校ではあまり話さなかったけど、その子たちとは普通に話してました。

小学校での僕と、家での僕とのギャップがけっこうあったと思います。

外では、「おうしょう」とか「バトミントン」「フリスビー」「ドッジボール」。

中では、プラレールを組んだりして遊んでいたけど、ファミコン、スーパーファミコンが出てからはずっとゲーム。

スーパーマリオ、ドラクエ、ロマサガ、ファイナルファンタジー・・・。

ファミコンで最初にやったカセットがドラクエ4の導かれし者たち。

ファミコンは両親が買ってくれなかったから、こっそり北海道のおばあちゃんとおじいちゃんに手紙を書いておねだりしました。

家では1日1時間ていう制限時間があって好き放題できなかったけど、その同級生の友達の両親が共働きでゲームを好き放題することができたから、入り浸ってましたね。

認知症のあばあちゃん

その友達の家に入り浸っていたのはもう一つ理由があって、お母さんが認知症のおばあちゃんの面倒を施設に入れずに家で見ていたこともあります。

なので小学校の頃はあまり家族旅行とかに連れて行ってもらうことがありませんでした。

その代わり、その友達のお父さんとお母さんが僕たち兄弟もキャンプとかに連れて行ってくれましたね。家族ぐるみの付き合いでした。

今思えば、お母さんはよく認知症のおばあちゃんの面倒を見ていたと思います。

目を離すとフラッとどこかへ行ってしまうことがあるため大変でした。

警察沙汰にはなりませんでしたが、一度行方が分からなくなったことがあって近所の人たちも一緒に探し回ったことがあります。

2時間程で発見できて良かったんですけど、夏だったのでどこかで倒れていないかの心配もありました。

けっこう遠くの公園のベンチに座っていて、よくここまで歩いてきたなとみんながびっくりしていたのを覚えています。

漫画

小学校時代にハマっていた漫画は「少年ジャンプ」。

最初はおこづかいがなくて買えなかったので、古紙回収の日を狙って、そこら中から古紙として出されているジャンプを家に持ってきていました。

ドラゴンボールが全盛期の時で、ナメック星での悟空とフリーザの決闘あたりの話を熱心に読んでましたね。

買い始めたのは人造人間19号と20号がどっかの町に降り立ったところの話から。まだ1冊190円の時代でした。

最初はドラゴンボールとダイの大冒険の2つしか読んでなかったんですけど、その後、幽遊白書、スラムダンク、るろうに剣心・・・気がつけば全部読むようになりました。

あと珍遊記とかボンボン坂高校演劇部、電影少女、ボーイ、花の慶次・・・懐かしい!

あの頃はとにかくジャンプの発売日が楽しみで仕方がなかったです。

近所の本屋で売り切れていて、本屋をハシゴしたこともありました。

そこから漫画にハマって、おこづかいのほとんどは漫画に使っていましたね。

他にも、らんま1/2やドラえもんもコミックで買っていました。

部屋の飾り付けとすごろく作り

この頃部屋を飾りつけたりすることが好きでした。

兄と2人で誕生日会みたいなことをすることがあったんですけど、折り紙を買ってきて、短冊状に切って、輪っかにして繋げていくっていうよくある飾りを黙々と一人で作ってました。

あとその日のプログラムを一つ一つを短冊状にして壁にキレイに並べて貼ったり、クラッカーを鳴らしたり。

あと、すごろくを作ってましたね。どんなやつだったかは忘れたんですけど、A 4の用紙を貼り合わせていたのでけっこう時間をかけて作っていたと思います。

この作業をしていた時の集中力凄かったんだと思うんですよね。

こういうところに将来やりたい事とか向いている仕事のヒントがあったかもしれない。

まとめ

小学校で過ごしたことに対する思い出より、家で遊んでた思い出が小学校時代の全てのような気がします。

小学校の6年間(ていうよりは家で遊んでいた6年間)は今思い出しても長かったなあと感じますね。

もし、小学校の自分に声をかけるとしたら

・運動系のクラブに入ること

・友達を大事にすること

・一人旅に行くこと

・趣味になるような習い事をすること

小学生でピアノ習ってるとか、空手やってるとかっていうのは親の勧めなんですかね。

僕は近所の「くもん」に行ってたくらいですね。

あ、あとスイミングスクールにも小3ぐらいまで行ってました。

背泳をする3級で辞めたんですけど、スイミングスクールには行っといて良かったです。

おかけで、カナヅチにはならずに済んだので。

kou




ABOUT US
ryokou
僕たちは男性二人暮しの同性カップルです。 kouは京都府出身の37歳。人付き合いが苦手で内向的な性格。 平成16年3月京都産業大学を卒業。平成17年1月に就職(勤務地は京都で全国転勤ありの会社)。平成26年7月に高知へ転勤、平成29年10月に岡山へ転勤、令和元年10月に大阪へ転勤となり現在に至る。 平成30年5月に難病指定されているベーチェット病を発症。特定疾患受給者証の交付も受け、現在も治療中。 ryoは高知県出身の32歳。2017年にkouと出会い人生が変わる。ミニマリストな思考のkouに影響を受け、シンプルライフを志す。 二人に共通すること 半年ぐらい前からミニマリスト、シンプリストの動画を見るようになる。退職しストレスフリーな生活に憧れを抱くようになり、あまり多くの物を持たずシンプルな生き方を模索しています。